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皆さん、こんにちは。阿部悠平です。

 

前回、わたくしがレポートしたブログ

城内さんぽ【10月イラスト】&シニアが始めるスマホ・パソコン・SNS】で

藤原・妙音寺地区について紹介致しました。

その中で

『白山大明神については非常に奥深いお話を聞くことが

できましたので、第二段としてお送りしますので

乞うご期待下さいませ!(^o^)/』

とお知らせしたので

さっそく第二段をお送りしたいと思います(^^)v

 

前回までのあらすじ

おさらいから(^^)

前回ブログでは、妙音寺地区について、

「城内郷土誌によれば『妙音寺地区』は、

野際と法音寺からの移住によってできた村と伝えられています。

また、白山大明神・八幡大明神・神明社・諏訪神社の

4社があったとの記録もあり、歴史のある集落。」

と紹介しました。

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では、『妙音寺』という地区名の

由来はどこからきているのでしょうか。

そこから迫って行きたいと思います(^^ゞ

 

心強いバディー

ここからは妙音寺地区にお住まいの

服部清太郎(はっとり せいたろう)さんに

案内していただきます(^^)v

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服部さんは妙音寺地区の最年長者。

偶然、外で作業をしている時に直撃取材をしたら、

昨年にも新潟日報新聞社の記者さんが

白山神社の取材に訪れたときに案内をしたとのことで

心強い方と出会いお話を聞くことができ、

案内までして頂きました\(^o^)/

 

妙音寺の由来

妙音寺は、古い記録によれば元亀二年(1571年)に開村。

古書には『明音寺村』と書かれたものもありますが、

地名の由来は、妙音比丘尼(みょうおんびくに)

関係があったのではないかと推測されています。

(城内郷土誌より抜粋)

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妙音比丘尼(みょうおんびくに)ってドナタ!?

話は今から約1200年前にさかのぼります。

時は天平8年(736年)聖武天皇の命令で、

藤原不比等の子息・藤原政照(麻呂?)公が堂舎仏閣造営諸国巡見のために

現・藤原地区にある法音寺に来ました。

しかし、藤原政照公は翌年天平9年(737年)に

疱瘡(ほうそう)という感染症にかかり亡くなってしまいました。

亡くなった藤原政照公の歯や骨を都(当時の京都)に送ると

夫(藤原政照公)の死を知った妻は夫を弔うため、

奈良の興福寺に入り剃髪して妙音比丘尼と称して

出家しました。

そう!

妙音比丘尼は、藤原政照公の奥さんだったのです(◎o◎)

 

奥さん(妙音比丘尼)の名前がなぜ地名になったのか!?

出家した妙音比丘尼は、奈良の白山様にお参りし

神前の小石を守護神と定め

小石=守護神を持って

なんとなんと

越後は藤原地区を目指してやって来たのです!(・・;)

 

無事、藤原地区にたどり着いた妙音比丘尼は

藤原地区の隣に草庵を開き

日夜お経を読み、

夫が埋葬されたお墓にお参りに赴き

夫である藤原政照公を弔ったのです。

 

妙音比丘尼が草庵を開いた場所こそが

現在の妙音寺地区なのであります(^O^)/

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妙音比丘尼に感謝

妙音比丘尼の草庵の場所は、記録も無く不明であるが

草庵があったと推測される場所の近くに

妙音比丘尼のお墓が建てられ

毎年8月17日には集落をあげて妙音比丘尼の供養祭

執り行っています。

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集落をあげて供養する背景には、

妙音比丘尼は夫を弔うだけでなく

万民の幸せと旅の安全を願っていたこと。

それだけでなく、こんなこともありました。

 

妙音比丘尼は、都から越後を目指す道中

不思議な体験をしたそうです。

(以下、妙音比丘尼本人体験談)

「それは夏の暑い日でした。私は持病が悪化して

意識が薄かったのですが、突然妙な音に耳を澄ますと

『吾は南部の白山妙理大権現なり、貴方の心を思う時

まことに不憫なり、此の後は貴方と共に手を取り合って、

越後までの旅を守りましょう』

と告げられたのです。気がつくと私は雷雨に打たれ、

守護神の小石をしっかり握っていたのです。」

 

越後に着くまでの不思議な体験を

村民に聞かせると村民は総出で清水を集落まで引き

この水はいかなる雷雨でも濁ることなく

村民は大事に使用してきました。

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妙音寺地区にも雷電様の水が引かれており、

いかなる時も水に苦労することが無くなった妙音寺の方々は

今でも妙音比丘尼に感謝しています。

毎年、供養祭の前に区民で参道やお墓周りの

草刈りや神社の清掃を行い、

法音寺からお経を上げて頂き、集落をあげて供養を行っているのです。

 

147

妙音比丘尼のお墓と湧き水が流れる手洗場は、

少々離れた場所に存在しています。

どちらも上に登っていくと

『白山神社』にたどり着きます。

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神社の入口鳥居と小さな社は

手洗場の上に位置しています。

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鳥居をくぐり石段を登ると

目の前に高くそびえる

長ーーーーーーーい石段が!!(;O;)

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1.2.3.4.5.・・・・・・

数えながら石段を登ること数分

最後の石段を数えると全147段ありました(o´Д`)=з

すると右手に見えました『白山神社』

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握った小石

白山神社を見た印象は、

『よくこんな急な場所に神社を建てたな・・・』

と思うほど急斜面を切り崩した場所に建てられていました。

なぜこの場所に建てたんだろう。

その答えは法音寺にありました。

お寺は西向きに造り、

北東は鬼が侵入してくると云われています。

法音寺の北側にある白山神社は、

“鬼門よけ”として

現在の位置に設置されました。

 

白山神社の中を拝見すると

お堂の奥に幅:3~4m 高さ:2~3m程の

大きな石が祀られており、

この石こそが白山神社の御神体であります。

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すでにピンと来た方もいると思いますが、

この大石=御神体こそ

妙音比丘尼が奈良の白山様にお参りした際に

神前の小石を守護神として定め、

道中で雷雨に打たれたときに

握っていた小石なのです(゚ロ゚;)

 

古くから小石が年々大きくなり

現在の大きさになったと云い伝えられています。

服部さんが幼い頃、おじいさんから聞いた話によると

石が大きくなり神社に収まらなくなり

今から約100年前に服部さんのおじいさんや

妙音寺地区の方々で現在の建物に建て直したそうです。

 

ご利益と縁

白山神社は古くから歯の病にご利益があると信仰され、

歯が痛むと歳の数だけ川から小石を拾ってきて

御神体の上に投げると治ると云われ、

実際に皆さん行っていたそうです。

御神体の上の方をよく見ると小石がいくつかありました。

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なぜ『歯』にご利益があるのか。

それは、白山神社の守護神が『蟹』だからです。

カニ→噛み→噛む=歯となり

ご利益があると云われています。

また妙音寺地区内には、『蟹沢』という場所があり

『蟹沢観音堂』というお堂があります。

蟹沢観音堂は、金精明神(こんせいみょうじん)として

男根碑が自然露出しており、子宝・安産・縁結び

ご利益があります。

(新編 城内郷土誌より抜粋)

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白山神社も『縁結び』のご利益があり、

左手で松の小枝を結ぶと願いが成就すると云われているそうです(^^)

 

新潟県は神社数が日本一

以前、おらしょの主任が

新潟県は神社数が日本一】をレポートしました。

神社は、人が集まり繋がるコミュニティースポットであり、

五穀豊穣を願う大事な場所であり存在でした。

 

イラストで城内を見た後に自らの目で描かれた場所に赴くと

白山神社を始め、妙音寺地区に多くの歴史が

詰まっていました。

皆さんも是非、城内さんぽを観覧した後に

白山神社に運んで頂き御神体の大石を実際に

見ていただきたいと思います。

出会いや発見があると思います(^^)v

【城内さんぽ10月イラスト】についてはこちらから▼

城内さんぽ【10月イラスト】&シニアが始めるスマホ・パソコン・SNS

 

ー追伸ー

“神社は、人が集まり繋がる場所”

というように今回、服部 清太郎さんと出会い

白山神社や妙音寺地区の歴史を紐解くことができ、

神社は人と人を繋げる存在だと感じました(*^_^*)

今後、服部 清太郎さんについて詳しくご紹介したいと思います。

つづく

 

記:阿部悠平

 

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